『鰹』ver4

古澤の創作意図(デジタルアレンジ)

”魚へん”の部分は、リアルな燻製カツオ節の画像を活用したため、桃色が生々しくはなりました。
“堅”の部分は、鰹節の削り箱を削るイメージに致しました。

岐葉先生には、この削り節の発想を気に入っていただけました。

『鰹節(かつおぶし)』Wikipediaより
カツオの肉を加熱してから乾燥させた日本の保存食品。鰹節や#その他の節を削ったものを削り節と呼ぶ。おかかは、鰹節、または削り節のことを指す。

日本では、701年には大宝律令・賦役令により、堅魚に分類される干しカツオなどが献納品として指定される。現在の鰹節に近いものでは、室町時代の1489年のものとされる『四条流庖丁書』に「花鰹」とあり、干物ではないかなりの硬さのカツオが想像される。江戸時代には、甚太郎という人物が現在の荒節に近いものを製造する方法を考案し、土佐藩(現・高知)では藩を挙げてこの熊野節の製法を導入した。江戸時代には鰹節の番付、明治時代には品評会などが開催された。

燻乾法の確立
江戸時代に、紀州印南浦(現和歌山県日高郡印南町)の甚太郎という人物が燻製で魚肉中の水分を除去する燻乾法(別名焙乾法)を考案し、現在の荒節に近いものが作られるようになった。焙乾法で作られた鰹節は熊野節(くまのぶし)として人気を呼び、土佐藩は藩を挙げて熊野節の製法を導入したという。

大坂・江戸などの鰹節の消費地から遠い土佐ではカビの発生に悩まされたが、逆にカビを利用して乾燥させる方法が考案された。この改良土佐節は大坂や江戸までの長期輸送はもちろん、消費地での長期保存にも耐えることができたばかりか味もよいと評判を呼び、土佐節の全盛期を迎える。改良土佐節は燻乾法を土佐に伝えた甚太郎の故郷に教えた以外は土佐藩の秘伝とされたが、印南浦の土佐与一(とさのよいち)という人物が安永10年(1781年)に安房へ、享和元年(1801年)に伊豆へ製法を広めてしまったほか、別の人物が薩摩にも伝えてしまい、のちに土佐節・薩摩節・伊豆節が三大名産品と呼ばれるようになる。

江戸期には国内での海運が盛んになり、九州や四国などの鰹節も江戸に運ばれるようになり、土佐(高知)の「清水節」、薩摩の「屋久島節」などを大関とする鰹節の番付表が作成された。

【原作】楽書家・今泉岐葉楽書家:今泉岐葉さんのコメント

魚へんを魚の形に(上向き)。右側の「堅」は堅そうに書きました。

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